『論語』巧言令色、鮮なし仁から学ぶ
「子曰く、巧言令色、鮮なし仁。」は『論語』のなかでも有名な一文です。巧言は巧みな話しぶり、能弁・雄弁を指します。令色とは人あたりの良い風采(見かけの容姿・服装・態度)のことをいいます。
訳は「先生が言われた。巧みな話しぶりで、見かけだけにこだわるような人間には、仁(人を思いやる心)は備わっていないものだ」となります。
孔子のいう仁とは、人をいつくしむ心のことで、優しい気持ちと置き換えてもよいでしょう。
つまり、言葉巧みに、体裁を整えて近寄ってくる人物に優しさを期待することは難しいという事です。
孔子は、相手は自分の目的を果たす為に、巧みな言葉と風采で近づいてきているのだよ、と警告しているのです。
人の顔色を窺いながら、言葉巧みに寄ってくる人というのは、寄ってくる本人に目的があるからで、寄ってこられる側には、利はないのが普通です。
甘い言葉と柔らかな物腰で近づいてきて、自分の利とするところが得られてしまったり、あるいは得られないという結果が出ると、今度は手のひらを返したように冷たく、背を向けるといった態度に変わったりします。
実生活でも突然、ご自宅に電話が掛かってきて、電話に出ると「お忙しいところ恐れ入りますが・・・」等と丁寧な口調で始まりますが、内容は電話代が安くなる、オススメの保険商品であったりと様々ですが、断ると、無言で電話を切ったり、口調が豹変し、不愉快な思いを経験した方もいらっしゃると思います。
孔子は、高ずると詐欺的行為ともなりかねない話があったならば、十分に注意をしたほうが良いと言っているのです。
孔子は今から2500年程前に生きていた人物ですが、当時から孔子が注意を促すような人間が存在し、今もなお、そのような人間が存在していると思うと、人間の本質は大昔からあまり進化していないのではないかと考えてしまいますね。